物理学から見る時間旅行

宇宙ひもと時空の歪み:物理学から見る時間旅行の可能性

Tags: 宇宙ひも, 時間旅行, 一般相対性理論, 時空の歪み, CTC

はじめに:宇宙ひもとは何か

宇宙ひもは、初期宇宙において相転移が起きた際に生成された可能性が指摘されている、極めて細く、一次元的な特異な構造です。その存在はまだ観測的には確認されていませんが、超弦理論を含む様々な理論モデルでその存在が予言されています。宇宙ひもは巨大な質量密度を持ち、周辺の時空を大きく歪ませると考えられています。この時空の歪みが、物理学的な時間旅行の可能性と関連付けられることがあります。

宇宙ひもの物理的性質と時空への影響

宇宙ひもは、その軸方向には広がりを持たず、横方向には量子スケールの太さを持つとされる一次元的な対象です。その質量密度は非常に高く、例えば、宇宙ひもの長さ数キロメートルが地球全体の質量に匹敵するという試算もあります。

一般相対性理論によれば、質量やエネルギーは時空を歪ませます。宇宙ひもも例外ではなく、その周囲の時空は特異な形で歪められます。宇宙ひもの重要な性質の一つに、「時空の欠損角(deficit angle)」を作り出すという点があります。これは、宇宙ひもの周囲を一周するように観測者が移動した場合、平面上を一周する際の角度(360度、または$2\pi$ラジアン)よりも小さな角度しか回転しないという効果です。具体的には、宇宙ひもの線密度μを用いて、欠損角$\delta\theta = 8\pi G \mu / c^2$で与えられます。ここで、$G$は万有引力定数、$c$は光速です。この欠損角を持つ時空は、あたかも円錐から楔形の一部が切り取られた後に貼り合わせられたような形状と見なすことができます。この効果により、宇宙ひもの周囲を通過する光や粒子は、重力による湾曲とは異なる特殊な偏向を受けます。

宇宙ひもと時間旅行:ゴットのモデル

物理学者J. Richard Gott IIIは、1991年に発表した論文で、適切に配置された宇宙ひもを用いることで、一般相対性理論が許容する時間旅行の一形態である「閉じ込められた時間的曲線(Closed Timelike Curve, CTC)」が生成される可能性を示唆しました。

ゴットの提案したシナリオは、互いに非常に高速で平行に移動する2本の宇宙ひも、あるいは自己交差するループ状の宇宙ひもを利用するものです。時空の欠損角を持つ2本の宇宙ひもが互いに接近し、高速ですれ違う状況を考えます。このとき、これらの宇宙ひもの外側では、それぞれが作る時空の欠損角が合成されたような効果が現れます。もし、2本の宇宙ひもが十分高速で、ある臨界速度を超えてすれ違う場合、その周囲の時空にはCTCが存在しうる領域が生成されるという計算結果が得られました。

具体的には、観察者がこれらの宇宙ひもの周囲を特定の経路で移動すると、出発時よりも過去の時点に戻ってくることが可能になるという理論的な帰結が導かれました。これは、ワームホールを通過する時間旅行とは異なり、時空の特異な構造(宇宙ひも)とその高速運動によって引き起こされる時空のトポロジー変化を利用する考え方です。

理論的な限界と現実性

ゴットのモデルは、一般相対性理論の厳密解ではない近似計算に基づいています。また、この時間旅行シナリオが成立するためには、いくつかの極めて厳しい条件が必要です。

  1. 宇宙ひもの存在と性質: 宇宙ひも自体が理論上の存在であり、その物理的性質(線密度、太さなど)もモデル依存性が高いです。さらに、時間旅行を引き起こすためには、極めて高い質量密度を持つ必要があり、初期宇宙の相転移でそのような宇宙ひもが実際に生成されたか、あるいは現在まで安定して存在しているかは不明です。
  2. 宇宙ひもの配置と運動: 時間旅行を可能にするCTCを生成するためには、2本の宇宙ひもが互いに非常に近い距離で、光速に近い速度で平行に移動するか、あるいは宇宙ひもが特定の形で自己交差する必要があります。このような配置や運動が自然に、あるいは人為的に実現する可能性は極めて低いと考えられます。特に、宇宙ひもを光速に近い速度で操作することは、技術的に想像を絶する困難を伴います。
  3. 因果律の問題: ゴットのモデルでCTCが存在する場合、古典的な因果律が破綻する可能性があります。これに対して、スティーブン・ホーキングの「因果律保護コンジェクチャ」などの議論があります。自然法則がCTCの生成を何らかの形で妨げる、あるいはCTCが存在する領域では物理法則が未知の振る舞いをするという可能性も指摘されています。

まとめ

宇宙ひもは、その特異な時空の歪み、特に時空の欠損角を通して、一般相対性理論の枠組みで時間旅行の可能性を示唆する興味深い対象です。J. Richard Gott IIIによって提案された、高速で移動する2本の宇宙ひもを用いるモデルは、理論的には閉じ込められた時間的曲線(CTC)を生成する可能性を示唆しています。

しかしながら、このシナリオは宇宙ひも自体の未確認な存在、要求される極端な物理的条件、そして因果律の整合性といった深刻な課題を抱えています。現在の物理学の理解に基づけば、宇宙ひもを利用した時間旅行は、あくまで一般相対性理論の理論的な可能性の一つとして存在するものの、その実現性は極めて低いと言わざるを得ません。これは、ワームホールを用いる時間旅行と同様に、理論的な探求の対象であり、現実的な旅行手段とは大きく隔たった概念であると言えるでしょう。