物理学から見る時間旅行

物理学から見る量子力学の多世界解釈と時間旅行:タイムパラドックスの回避策としての可能性

Tags: 多世界解釈, 時間旅行, タイムパラドックス, 量子力学, 因果律

時間旅行が物理的に可能であるかどうかの議論において、必ずと言ってよいほど問題となるのが「タイムパラドックス」です。中でも有名な「親殺しのパラドックス」に代表されるように、過去への旅行者が行動を起こすことで、その旅行者が存在する未来が破壊されてしまうという因果律の矛盾は、多くの物理学者を悩ませてきました。

一般相対性理論が許容する時間旅行の解(閉じた時間的曲線、CTC)が存在しうるとしても、このパラドックスをどう回避するかは依然として大きな課題です。この問題に対する物理学的なアプローチの一つとして、「因果律保護コンジェクチャ」(ホーキング提唱)のように、自然法則がパラドックスの発生そのものを禁止するという考え方があります。一方で、量子力学における一つの解釈である「多世界解釈」が、パラドックス回避の異なる道筋を提供する可能性が議論されています。

量子力学の多世界解釈(MWI)とは

多世界解釈は、ヒュー・エヴェレット3世が1957年に提唱した量子力学の解釈です。量子力学では、観測が行われるまで粒子の状態が複数の可能性の重ね合わせとして存在するとされます。この重ね合わせ状態が観測によって特定の状態に「収縮」するというのが標準的なコペンハーゲン解釈ですが、多世界解釈は「収縮」という概念を用いません。

多世界解釈によれば、波動関数の重ね合わせ状態にある系について観測が行われるとき、実際に起こりうるすべての可能性がそれぞれ別の宇宙で同時に実現します。つまり、私たちの宇宙は、量子的な出来事のたびに無数の可能性に応じて「分岐」し続けている、という壮大な宇宙観を提示するものです。各々の宇宙は互いに干渉することなく並行して存在すると考えられています。

多世界解釈とタイムパラドックス

この多世界解釈を時間旅行、特に過去への旅行に適用すると、タイムパラドックス問題に対する一つの考え方が生まれます。

標準的な因果律では、原因が結果を生み出し、その結果がまた別の原因となるという単一の歴史の流れを前提としています。しかし、過去に遡って原因を変更しようとすると、未来の結果(自分自身の存在など)と矛盾が生じます。

多世界解釈の枠組みでは、時間旅行者が過去のある時点に到着したとき、その時点の宇宙は、時間旅行者が到着しなかった場合の宇宙と、到着した場合の宇宙に分岐すると考えることができます。

時間旅行者が過去で何らかの行動(例: 親を殺す行為)を起こそうとしたとします。多世界解釈によれば、この行為によって元の歴史が書き換えられるのではなく、その行為が行われた「新しい分岐宇宙」が生成されます。元の宇宙では時間旅行者は過去に戻っただけで何も変更せず(あるいは過去に戻る出来事自体が異なる分岐で起こった)、その結果、旅行者が存在する未来へとつながります。一方で、分岐した宇宙では、旅行者が行った行為の結果として、その宇宙の歴史が進行します。

この考え方によれば、時間旅行者が過去でどのような行動を起こしても、それは常に元の宇宙から分岐した別の宇宙で起こる出来事となり、元の宇宙の因果律や自己の存在を破壊するような矛盾は発生しないことになります。パラドックスは回避されるのではなく、異なる宇宙へと「分配」される、あるいはパラドックスが起こりうる宇宙と起こらない宇宙に分岐するという解釈です。

物理学的な課題と位置づけ

多世界解釈は、量子力学の数学的な定式化と矛盾しない、整合性の取れた解釈の一つです。波動関数の収縮という非決定論的プロセスを仮定しないため、ある意味ではよりシンプルであるとも言えます。

しかし、多世界解釈は多くの物理学的な課題も抱えています。最も大きな問題は、他の宇宙の存在を直接的に観測したり、実験的に検証したりすることが極めて困難である点です。また、「分岐」のメカニズムや、私たちがなぜ特定の宇宙を経験しているのかといった根本的な疑問に対する明確な答えが、まだ十分ではありません。確率の概念をどう扱うかも議論の対象となっています。

したがって、多世界解釈は時間旅行のパラドックスに対する「解決策」を提供する可能性のある理論的枠組みではありますが、これは時間旅行そのものの物理的な実現性を保証するものではありません。時間旅行が可能であった場合に、もし多世界解釈が正しい解釈であるならば、パラドックスは上記のように回避されるかもしれない、というレベルの議論です。

まとめ

量子力学の多世界解釈は、宇宙が常に分岐し続けるという考え方に基づき、時間旅行者が過去で何かを変更しようとしても、それは元の歴史を破壊するのではなく、新たな分岐宇宙の歴史として展開されることでタイムパラドックスを回避するという可能性を示唆しています。

この解釈は、時間旅行の理論的な問題に対する一つの興味深い視点を提供しますが、多世界解釈自体の検証の困難さや、時間旅行の物理的な実現性とは独立した議論である点には留意が必要です。物理学における時間旅行の探求は、一般相対性理論による時空構造の考察と並行して、量子力学の根源的な問題や解釈とも深く結びついています。多世界解釈は、この複雑なパズルのピースの一つとして、今後の理論的な進展が待たれる分野と言えるでしょう。