物理学から見る時間旅行

物理学から見る時間結晶:量子多体系における時間的な秩序は時間旅行に示唆を与えるか

Tags: 時間結晶, 物理学, 量子力学, 時間旅行, 対称性の破れ

時間結晶とは何か

物質の相は、原子や分子が空間的にどのように秩序を持つかによって定義されることが一般的です。例えば、固体は原子が周期的な格子を組むことで空間的な並進対称性が破れた状態であり、結晶はその典型例です。これに対し、近年物理学の分野で大きな注目を集めているのが「時間結晶(Time Crystal)」という概念です。

時間結晶は、量子多体システムにおいて、基底状態やある種の非平衡状態において時間的な並進対称性が自発的に破れ、系全体が時間に対して周期的な運動を示す相を指します。これは、空間的な周期構造を持つ通常の結晶に対し、時間的な周期構造を持つことから「時間結晶」と名付けられました。この概念は、ノーベル物理学賞受賞者であるフランク・ウィルチェク氏によって2012年に提唱されました。当初は基底状態における時間結晶の可能性が探求されましたが、平衡状態の系では熱力学第二法則などにより時間結晶は存在しないことが後に証明されました。しかし、外部から周期的な駆動を受ける非平衡状態の系においては、駆動周期とは異なる、より長い周期で安定した運動を示す「離散時間結晶」が存在しうることが理論的に示され、その後の実験によって複数のシステムで実現が確認されています。

時間結晶の研究は、物性物理学、特に量子多体物理学や非平衡統計力学のフロンティアとして、時間そのものの性質や、複雑な量子系の時間進化、相転移といったfundamentalな課題に新たな視点を提供しています。

時間結晶の物理的基礎:対称性の破れ

通常の結晶が空間並進対称性を自発的に破るように、時間結晶は時間並進対称性を自発的に破ります。空間並進対称性の破れとは、系が持つ最小エネルギー状態(基底状態)が、あらゆる空間的な移動に対して不変ではないことを意味します。例えば、結晶格子中のある点を基準とすると、そこからわずかにずれた点では原子の配置が異なり、物理的な環境が変わります。

一方、時間並進対称性とは、物理法則が時間的な経過に対して普遍的であるという性質です。例えば、今日行った実験結果は、明日同じ条件下で行えば同じ結果が得られると期待されます。系が時間並進対称性を持つとは、系の物理的な性質が時間の経過によらず一定である、あるいは時間シフトに対して不変であるということです。

時間結晶は、この時間並進対称性を自発的に破ります。つまり、系の最低エネルギー状態や安定した非平衡状態において、系のマクロな物理量が時間とともに周期的に変化し、任意のスナップショットを取っても同じ状態に戻るためには特定の時間間隔(結晶の周期)を経る必要があるということです。これは、外部からの周期的な駆動の周期とは異なる周期(例えば2倍の周期)で振動するといった形で現れます。この駆動周期とは異なる固有の周期を持つことが、外部駆動に単に同期して応答する現象とは異なる、自発的な対称性の破れの特徴です。

時間旅行との関連性への示唆

時間結晶そのものは、タイムマシンとして過去や未来へ移動する手段を提供するものではありません。それは、マクロな時空構造を歪める相対性理論的なアプローチとは全く異なる物理現象です。時間結晶は、あくまで量子多体システムにおける時間的な秩序、つまり量子系の内部的な時間発展に関する新しい物理相です。

しかし、時間結晶の研究は、時間旅行というテーマに対して、間接的ないくつかの示唆を与える可能性があります。

  1. 時間の概念の深化: 時間結晶の発見は、我々が慣れ親しんでいる「時間の流れ」や「安定な物理状態」といった概念に新たな光を当てます。特に、非平衡状態においても安定な時間的な秩序が存在しうるという事実は、複雑なシステムのダイナミクスや不可逆性に関する理解を深める上で重要です。時間そのものが物理現象によってどのように「振る舞う」のか、あるいは物理系がいかにして時間的な構造を持ちうるのかといった観点からの示唆は、時空の性質を探求する時間旅行の理論にも関連してくる可能性があります。

  2. 量子系の時間進化と制御: 時間結晶は量子多体系の時間進化を伴う現象であり、その研究は量子系の複雑なダイナミクスを理解し、制御する技術の発展に寄与します。時間旅行、特に量子力学的な効果が重要になるスケールでの時間旅行(もし可能であれば)を考える際には、量子系の精密な時間発展の制御が不可欠となるかもしれません。時間結晶の研究は、非平衡下での量子系の安定な時間構造の維持や制御に関する知見を提供する可能性があります。

  3. 対称性と物理法則: 時間結晶における時間並進対称性の破れは、物理法則における対称性の役割の重要性を改めて示します。時間旅行の理論、特に過去への旅行に伴う因果律のパラドックスなどは、物理法則の時間対称性と深く関連しています。時間結晶の研究を通じて得られる対称性の破れに関する新たな理解は、時間旅行の理論的な枠組みや、自然法則が時間旅行に課す制約について考える上でのヒントとなるかもしれません。例えば、因果律保護コンジェクチャのような概念は、物理法則がある種の対称性を維持することで時間旅行によるパラドックスを防いでいると解釈できます。時間結晶における時間対称性の振る舞いは、この観点からの議論に新たな示唆をもたらす可能性が否定できません。

まとめ

時間結晶は、量子多体システムにおける時間的な秩序、すなわち時間並進対称性の自発的な破れを示す新しい物質相です。これは、通常の空間的な結晶とは対照的な概念であり、非平衡系の物理学における重要な進展です。

時間結晶は直接的な時間旅行のメカニズムではありませんが、その研究を通じて得られる時間、量子系のダイナミクス、対称性の破れに関する知見は、時間旅行という深遠な問いを物理学的に探求する上で、間接的ながらも新たな視点を提供する可能性があります。特に、非平衡下での安定な時間構造の存在は、時間や因果律に関する我々の理解を拡張するかもしれません。物理学のフロンティアである時間結晶の研究は、物質の新しい相の発見にとどまらず、時空の性質や時間そのものに関する基本的な問いへの探求にも繋がっていくものと期待されます。

今後、時間結晶の研究が進展することで、量子系における時間の役割や、時間旅行の可能性とその限界について、さらに深い理解が得られることが期待されます。