物理学から見る超弦理論と時間旅行:追加次元はタイムマシンになりうるか?
はじめに
時間旅行の概念は、アインシュタインの一般相対性理論が予言する時空の歪み、特にワームホールや閉じた時間的曲線(CTC)といった構造と関連付けられ、長年物理学の議論の対象となってきました。また、量子力学の視点からも、時間の不可逆性や情報の壁といった側面からその可能性や困難性が探求されています。
しかし、これらの議論の多くは、主に4次元の時空(3つの空間次元と1つの時間次元)に基づくものです。物理学の最前線では、自然界の基本的な力や素粒子を統一的に記述することを目指す超弦理論のような枠組みが研究されており、そこでは私たちの認識する4次元時空に加えて、より高次元の時空の存在が予言されています。
この記事では、物理学の新たなフロンティアである超弦理論が、時間旅行の可能性についてどのような示唆を与えうるのか、特に超弦理論が予言する「追加次元」の観点から探求します。相対性理論や量子力学の知見とは異なる角度から、時間旅行の物理的可能性に迫ります。
超弦理論と追加次元の概念
超弦理論は、物質の基本的な構成要素を点粒子ではなく、非常に小さな一次元的な「弦」と考える理論です。この弦の振動パターンが、光子や電子といった様々な素粒子として観測されるという考え方です。超弦理論が数学的に整合性を持つためには、私たちの慣れ親しんだ3つの空間次元と1つの時間次元に加えて、さらに多くの空間次元(通常6つまたは7つ)が存在する必要があると予言されます。つまり、超弦理論は10次元または11次元の時空を要求する理論体系です。
では、なぜ私たちはこれらの追加次元を日常的に認識できないのでしょうか。超弦理論では、これらの追加次元は私たちの観測可能なスケールに比べて非常に小さく、「コンパクト化」されていると考えられています。これは、例えば非常に細長いストローを遠くから見ると一次元的に見えるが、近くで見ると二次元的な円周方向の次元がある、という状況に似ています。追加次元は、プランクスケール(約 10⁻³⁵ メートル)程度の極めて小さなスケールで折りたたまれていると想定されることが多いです。
また、追加次元の存在形態に関する別の可能性として、「ブレインワールド」モデルがあります。このモデルでは、私たちの宇宙を含む4次元時空は、「ブレーン」(膜)と呼ばれる高次元空間内の部分多様体であると考えられます。素粒子の中でも、光子や電子といった粒子はブレーン上に束縛されていますが、重力子はブレーンを離れて高次元空間(バルク)を伝播できる可能性があります。これは、なぜ重力が他の基本的な力に比べて極めて弱いのかを説明する一つの試みでもあります(ADDモデルなど)。
追加次元が時間旅行に与える示唆
超弦理論が予言する追加次元の存在は、時間旅行の可能性についていくつかの示唆を与えうる物理学的なアイデアにつながります。
1. 高次元空間を介したショートカット
ワームホールは、4次元時空における空間的な近道であると同時に、時間的なショートカットの可能性も示唆しています。もし追加次元が存在するならば、4次元空間では遠く離れている二点が、高次元空間を経由することで「近く」にあるという状況が考えられます。これは、紙の上で遠い二点が、紙を折りたたむことによって接近するようなイメージです。
この高次元空間を通る「トンネル」のような構造が、4次元のワームホールとは異なる形態の時間旅行の経路となりうる可能性が理論的に議論されることがあります。しかし、このような高次元トンネルを生成・維持するために必要なエネルギーや物質の性質については、4次元の場合と同様に、負のエネルギー密度を持つエキゾチック物質が必要となる可能性があり、実現性は依然として大きな課題です。
2. 重力と追加次元
ブレインワールドモデルにおいて、重力子が高次元空間を伝播できるとする考え方(ADDモデルなど)は、ワームホールの安定化に必要なエネルギー問題に新たな視点を提供するかもしれません。ワームホールを通過可能な状態に維持するためには、開口部を斥力的に支える負のエネルギー密度を持つエキゾチック物質が必要であると考えられています。これは一般相対性理論が要求する、いわゆる「エネルギー条件」を満たさない特殊な物質です。
もし重力が追加次元に「漏れ出す」ことで4次元的な見かけの重力が弱くなっているとすれば、極めて高いエネルギー密度や負のエネルギー密度を伴うような時空の歪みも、従来の4次元的な計算とは異なる振る舞いをする可能性があります。理論によっては、高次元効果がワームホールの安定化に必要なエネルギー要件を緩和する可能性が示唆されることもありますが、これは speculative な議論の域を出ません。
3. 高エネルギー領域における時空の構造
超弦理論は、プランクスケールのような極めて小さな、あるいは極めて高いエネルギー領域における時空の構造を記述することを目指しています。このような極限的な状況では、4次元の一般相対性理論や標準模型では記述できない新たな物理現象が現れると考えられます。時間旅行がもし可能であるとすれば、それはおそらくこのような極限的なエネルギーや時空の歪みと深く関わってくるはずです。
超弦理論が提供する高エネルギー領域における時空の新しい描像(例えば、時空が離散的になる可能性や、異なるトポロジーを持つ可能性など)が、時間旅行の物理的な可能性や、因果律の問題に対して新たな洞察を与える可能性もゼロではありません。しかし、これは超弦理論自体の理解が深まることと表裏一体であり、現時点では具体的な時間旅行のメカニズムとして論じられる段階にはありません。
課題と限界
超弦理論や追加次元の観点から時間旅行を考える上で、いくつかの大きな課題と限界が存在します。
第一に、超弦理論はまだ実験的に検証されていない理論です。追加次元の存在も、直接的な証拠は見つかっていません。大型ハドロン衝突型加速器(LHC)のような実験装置で、追加次元に重力が漏れ出すことで観測される可能性のある現象(エネルギーの消失など)が探索されていますが、決定的な証拠は得られていません。追加次元の大きさがプランクスケール程度であれば、現在の技術では観測は極めて困難です。
第二に、超弦理論は様々な背景時空(真空)を許容するとされており、その中のどれが私たちの宇宙を記述するのかが分かっていません。これは「ランドスケープ問題」として知られており、超弦理論から時間旅行の可能性について具体的な結論を導き出すことを難しくしています。
第三に、たとえ超弦理論が正しいとしても、それが時間旅行を物理的に許容するのか、あるいは逆に禁止するのかは明確ではありません。超弦理論の枠組み内で因果律保護コンジェクチャのような原理がどのように働くのか、閉じた時間的曲線が許容される構造が存在するのかなど、基本的な問題が未解明です。
まとめ
超弦理論が予言する追加次元の概念は、従来の4次元時空の物理学では考えられなかった時間旅行への新たな物理的アプローチを示唆する可能性を秘めています。高次元空間を介したショートカットや、高次元における重力の振る舞いがワームホールの安定化問題に示唆を与える可能性などが議論されています。
しかしながら、これらの議論はあくまで理論的な可能性の段階にあり、実験的な検証は得られていません。超弦理論自体の完成度や実験的証拠の獲得、そして理論体系内での因果律や時間旅行の整合性に関するさらなる研究が必要です。
現時点では、超弦理論が時間旅行を可能にする「タイムマシン」の設計図を提供するものではありません。しかし、時空の本質が私たちが普段認識しているよりもはるかに豊かで複雑である可能性を示す超弦理論は、物理学の観点から時間旅行という壮大なテーマを探求する上で、無視できない興味深い視点を提供していると言えるでしょう。物理学のさらなる進展によって、将来的にこの追加次元と時間旅行の関係性がより明確になることが期待されます。