物理学から見る時間旅行

物理学から見るティプラーシリンダーと時間旅行:巨大回転質量が作る閉じた時間的曲線

Tags: ティプラーシリンダー, 時間旅行, CTC, 一般相対性理論, 回転質量

ティプラーシリンダーとは何か

時間旅行の可能性は、古くからSFの世界で描かれてきましたが、物理学の領域においても、特定の時空構造の下で理論的に許容される可能性が探求されてきました。その探求の一つとして、フランク・ティプラーが1974年に発表した論文で詳細に検討された「ティプラーシリンダー」モデルがあります。これは、一般相対性理論の枠組みの中で、特定の条件下で時間旅行を可能にする閉じた時間的曲線(CTC)が存在しうることを示す理論的な構成物です。

巨大回転質量による時空の歪み

ティプラーシリンダーのアイデアは、巨大な質量が高速で回転する際に生じる時空の歪みに基づいています。一般相対性理論によれば、質量は時空を歪ませ、その近くを通る物体の運動(重力)に影響を与えます。さらに、質量が回転している場合、その回転は周囲の時空をも「引きずる」ように影響を与えます。これは「フレーム・ドラッギング(慣性系引きずり)」効果として知られており、ブラックホールの周りなどで観測される物理現象です。

ティプラーシリンダーは、このフレーム・ドラッギング効果を極端なスケールで考えたものです。想定されるのは、信じられないほど巨大な質量を持ち、その長さが無限であるか、あるいは極めて長いシリンダー(円柱)が、その長軸を中心に高速で回転しているという状況です。ティプラーの計算によれば、この巨大な回転質量によって生成される重力場とフレーム・ドラッギング効果が、シリンダーの周りの時空を特定の形で歪ませます。

閉じた時間的曲線(CTC)の生成

ティプラーシリンダーモデルの核心は、この極端な時空の歪みが、ある種の「閉じた時間的曲線(Closed Timelike Curve, CTC)」を生成しうるということです。CTCとは、時空上の経路でありながら、その始点と終点が同じであるにも関わらず、常に光速よりも遅い速度(時間的な経路)をたどることで一周できる経路のことです。

通常の時空では、時間は常に未来に向かって一方向に流れます。これは、どんな時間的な経路も、常に時空図上で未来方向へ進むことを意味します。しかし、CTCが存在する時空では、過去に戻って元の場所・時間に戻ってくる経路が存在することになります。つまり、ティプラーシリンダーの周りを適切に航行することで、理論上は過去への時間旅行が可能になる、ということになります。

具体的には、高速回転するシリンダーの周囲で、特定の速度と方向でシリンダーに沿って移動することで、出発した時空点よりも過去の時空点に到達できる経路が存在すると計算されました。

ティプラーシリンダーの物理的な課題

ティプラーシリンダーモデルは、一般相対性理論の範囲内で時間旅行の可能性を示す興味深い理論的構成物ですが、その物理的な実現性については極めて大きな課題が指摘されています。

  1. 必要な質量と回転速度: CTCを生成するためには、シリンダーは想像を絶するほど巨大な質量を持ち、光速に近い速度で回転する必要があります。これは、既知のどんな天体や人工物と比較しても、はるかに過酷な条件です。
  2. シリンダーの長さ: CTCの生成には、シリンダーが無限長であるか、あるいは少なくとも宇宙論的スケールで非常に長い必要があります。現実的な長さのシリンダーでは、端部効果などによりCTCが安定して存在しない可能性が指摘されています。
  3. 物質の安定性: そのような巨大な質量が高速で回転している場合、遠心力や自身の重力によってシリンダーが崩壊することなく安定して存在できるかどうかが問題となります。通常の物質では、このような条件下で安定性を保つことは不可能と考えられます。エキゾチック物質などの特殊な物質が必要になる可能性も考えられますが、その存在や安定性自体が仮説の域を出ません。
  4. 特異点: ティプラーの元の計算では、シリンダーの内部中心軸上に特異点が存在する可能性が示唆されており、物理法則が破綻する場所があることになります。
  5. 因果律保護: スティーブン・ホーキングによって提唱された「因果律保護コンジェクチャ」は、自然法則がCTCの形成を防ぐようになっている、という仮説です。もしこのコンジェクチャが正しければ、ティプラーシリンダーのようなCTCを許容する時空の生成は、何らかの未知の物理法則によって阻害されることになります。

まとめ

ティプラーシリンダーモデルは、一般相対性理論が特定の極端な条件下で時間旅行を許容する可能性があることを示す、物理学的な思考実験として重要です。巨大な質量が超高速で回転することで生じるフレーム・ドラッギング効果が、時空を歪ませて閉じた時間的曲線(CTC)を生成するというアイデアは、時空の柔軟性を示唆しています。

しかし、その実現に必要な物理的条件(質量、回転速度、長さ、物質の安定性)は、現在の物理学で考えられる範疇をはるかに超えています。そのため、ティプラーシリンダーは、時間旅行が理論的に「不可能ではない」ことを示唆するモデルの一つではありますが、現実的な時間機械として機能する可能性は極めて低いと考えられています。時間旅行の物理的な可能性を巡る探求は、ワームホールや他の時空構造、あるいは量子的なアプローチなど、様々な側面から続けられています。